昭和63年 | 24枚撮りから24枚撮りから
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昭和63年

2017/03/27(Mon) 22:54


まだ近鉄が藤井寺に本拠地があった頃、試合があるとバファローズ坊やの看板を付けて走ってました。
阪急もブレービ―の看板付けたの撮っていたのにね。西宮球場も消えるなんて夢にも思いませんでした。
南海も大阪球場に中モズ球場もあったし森之宮の日生球場もたまに公式戦してましたね。
阪神の暗黒時代もありましたねえ。
ku35.jpg
阪急宝塚線は臨時特急が走っていました。その後定期化されたけど短命でした。
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急行で来たのが特急で折り返す時は特急板を付けていました。
今はズンベラボンで味気ないなあ。
IMGP8455.jpg
特急エーデル丹後。北近畿に引っ張られて福知山で分割してました。
こんな力業もこの頃の特徴かなあ。
IMGP8452.jpg
非電化の頃の山陰本線嵯峨駅。空も高くて京都まで乗っても旅気分でした。
IMGP8227.jpg
まだ地下鉄も非冷房でイスの固いのが多かったですね。中央線に千日前線、谷町線は3扉の古いのも走っていたなあ。
その後ゴッソリ車両が入れ替わるとは夢にも思わなかった昭和63年高校2年の自分。
P1087458.jpg
地上時代の能勢電川西能勢口駅。冷房車が入って喜んだなあ。

情報源は雑誌しか無かったけども当たり前だったのでスマホで情報が見れる今は良いのか悪いのかわかんないなあ。
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Category:がらくた箱

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2017/03/30(Thu)22:46

こんばんは。
私はいまだに関西の地理に疎く、お写真にある様々な路線がどのような雰囲気の町を通っているのか、「路線の匂い」のようなものが分からないのですが、一方で、お写真から時代の雰囲気のようなものは伝わってきました。
お写真の頃、まだ私は幼く、自分の住むところ以外にたくさんの町があることをリアルな感覚としては理解していませんでしたが、時代の感覚のようなものは、土地に関係なくあったのだろうと思います。
今ではどの鉄道会社も車両は本当に綺麗になりました。
しかし、阪神のお写真を拝見し思いましたが、ヘッドマークのような手のかかることは殆どしなくなりましたね。
駅の案内も丁寧に情報が表示されるようになっていますし、車両の表示もフルカラーの多機能なものになり、迷うことはないですが、一抹の味気なさを感じることがあります。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

名前:風旅記 (URL編集

2017/04/01(Sat)21:39

今から振り返ると梅田も雑然として汚い感じでしたが当時はそれが普通だったので目的地以外は目もくれなかったようです。
失われた20年の前ですが、この頃から今を見ると街から活気と人が減ったのを感じます。
それにこの頃の新車が他所に転属になったり廃車されてるけども子供の頃の車両がまだ現役なので造りがイマイチだったのかもしれません。カメラもAF初期から7年前のデジカメなんて中古屋でも安値だったりするので味気なさを感じますね。

名前:ちよほか (URL) 編集

2017/04/03(Mon)23:55

この頃は、鉄道各社が今以上に個性的で、知らない路線、知らない車両に乗るたびに、ワクワクしていたことを思い出します。
大阪近郊でも気動車が走っている路線は多く、ちょっと足を伸ばせば旅気分を味わうことができました。
非冷房車と冷房車が混在して走っているときは、非冷房車が来ると「ハズレ」と思ってましたが、それも冷房車が当たり前の今となっては懐かしい思い出です。

名前:ROUTE25 (URL) 編集

2017/04/05(Wed)21:33

良くも悪くもスルッと関西が始まる前は各社バラバラでまとまりなかったですね。
それが普通だったので面白かった部分がありました。
その後竜華も尼崎も再開発されましたが、変わっていないものも多くてアンバランスなまま時間だけ経った気がします。
そういえば103系の1両だけクーラー無しの編成が堂々と走っていたのを思い出しました。
そんなのが許された時代だったんですね。

名前:ちよほか (URL) 編集

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